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【読書記録】達観しすぎた歯切れ良い文章に人の本質が見えてくる。「九十歳。何がめでたい」

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今日は読書記録です。

 

ビジネス書とか勉強関連の書籍のような堅い本ばかり読んでいると、本を楽しむという読書本来の目的を見失いそうになるので、併読の一冊に小説やエッセイを必ず選んで置くようにしています。

 

今回はエッセイ。佐藤 愛子著「九十歳。何がめでたい」です。

作者のプロフィール

大正十二年大阪生まれ。

甲南高等女学校卒業。

昭和四十四年『戦いすんで日が暮れて』で第六十一回直木賞、昭和五十四年『幸福の絵』で第十八回女流文学賞、平成十二年『血脈』の完成により第四十八回菊池寛賞、平成二十七年『晩鐘』で第二十五回紫式部文学賞を受賞。

エッセイの名手とも知られ、近著に『孫と私の小さな歴史』や『役に立たない人生相談』がある

「九十歳。何がめでたい」巻末より

 上梓された時から気になっていたエッセイです。失礼ながら著者に関しては勉強不足でして、タイトルに惹かれた次第です。

 

タイトルから、九十歳という長寿を周囲から祝福されているおばあちゃんの心は裏腹で、年齢を重ねるとあれこれ不自由に感じることが多くて内心「めでたくないなぁ」と周囲とのギャップでほっこりするようなエッセイかと想像していましたが、その想像は外れました。

 

年齢的な衰えはご本人も認めておられますが、この本は舌鋒鋭く、歯切れよく、なんとも痛快な内容と文章で構成されていて、ワタシは「ほんとに九十歳?!ゴーストライターじゃない?!」と疑ったくらいです。

 

2016年の出版当時に世間で起こった様々な出来事についても触れられていて、出来事そのものや世間の反応に対する切れ味の良い私見が気持ち良かったです。

 

少々古さを感じるところもありますが、所々に人として忘れてはいけない事を感じ取ることもできました。

 

 

「寛容」のスキルが今こそ必要

印象に残った文章がいくつかあります

町の音はいろいろ混じっている方が良い。うるさいくらいのほうが良い。

それは我々の生活に活気がある証拠だから。

それに文句をいう人が増えてきているというのは、この国が衰弱に向かう前兆の気がする。

 P56「我ながら不気味な話」より

 クレームを気にして静かにすることが良しとされる現代について、「不気味じゃないか」という内容の一節。

 

車はクラクションを鳴らさず走り、幼稚園から聞こえる合唱がうるさいという人がいたり、犬は吠えることが本能なのに吠えない犬が良しとされる。

 

戦争体験の著者は空襲警報が鳴り響き、町が死んだように鎮まり返った静寂を知っているという。

 

また、

不慮の災厄に遭った時など「運が悪かった」この言葉を使って諦めて耐える知恵を誰もが持っていた。

人の世は決して平坦な道ではないということを皆が知っていた。知っているからこそ親は子に耐えることや諦めることを教えた。

耐え難きを耐え許し難きを許すこと、それは最高の美徳だった。

自分がこうむったマイナスを、相手を追い詰めて補填(つまり金銭で)させようとすることは卑しいことだった。かつての日本人は「不幸」に対して謙虚だった。

悪意のない事故も悪意のある事故もゴチャマゼにしてモトをとろうとするガリガリ亡者はいなかった。

P66「子供のキモチは」より

 これは、サッカー少年が蹴ったボールが校門の扉を越えてしまい、当たりそうになったバイク乗りの高齢者が避けたはずみで転倒し足を骨折、入院した。その後、その高齢者は肺炎で死亡、遺族はその少年の両親に賠償を求め提訴というニュースを取り上げての一節

 

ここだけ切り取って読むと誤解が生じやすい文章なので、是非、前後の文脈を読んでほしいと思います。ワタシは一考する価値はあると思います。

 

この2つの文章を読んでどう思いますか?

 

「寛容」のスキルが今こそ必要。ワタシはこれが本質なのかと考えました。

 

インターネット、特にSNSが登場してからは、いつも誰かの機嫌を悪くしないように振る舞う世の中になってしまっているんじゃないかと思う。

 

自分の発言が炎上しないように、多数派に寄り添った意見に矯正してしまったり、コンプライアンスや社会問題を意識しすぎて行動や発言が慎重になってしまう。

 

ちょっとした歪みを一斉に叩く風潮がそうさせるのは、誰もが知っていることで、みんなが「寛容」な気持ちを持って、清濁併せ呑めればもっと自由に振る舞えるのにと誰もが思っているのではないでしょうか。

 

ちょうど先日、読書記録に書いた「遅いインターネット」の考え方に通ずるなと思いました。

 

 

www.wannabies.work

 

事故の一節に対して「寛容」という言葉は不適切かも知れないけれど、(実際にその節には寛容という言葉は出てこない)不幸に対しても寛容であれば諦め耐える事ができるのだという昔の人の教えだと感じました。

 

 

「のんびりしよう」なんて考えはダメ

また、このエッセイの連載を依頼された時は、年齢を理由に「のんびり」したいと一度は辞退の姿勢だったようですが、この「のんびり」を続けていると気が滅入ってくることを思い出し、依頼を受けることとしたと書かれています。

 

何かをすることというのは年齢関係なく生きる活力をくれるものなんだと思います。逆にヒマだと良からぬことを考えてしまうものだと思います。

 

最後に、人間「のんびりしよう」なんて考えてはダメだということが、九十歳を過ぎてよく分かりましたと締められています。

 

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