お元気ですか?ワタシは元気です。

関西在住のアラフィフ会社員による、めちゃくちゃインドアな雑記ブログ

不寛容であればあるほど自分の首を締める

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賛否が分かれた中で開催された先日のFUJI ROCK。ワタシはyoutubeの配信でところどころを楽しみました。

 

出演バンド「KEMURI」の伊藤ふみお氏の「分断なんか誰も望んでいない」「右手で握手したまま、左手で殴り合えばいい」「その右手は絶対に離すな」というMCが印象的でした。

 

現状において、リスクある所には色んな人が色んな正義と感情を持ち寄るので、どうすることがベストなのかが見えにくくなるし、どんな判断をするにせよ、批判がでることは間違いない。

 

厄介なのは、色んな人の色んな正義がそれぞれ誤りではないからです。

 

だから、意見のぶつけ合いはどんどんやりあえばいい。なんならこうしてFUJI ROCKに出演している俺らも批判してくれてい良い、でもだからって自分の対立軸の主張を許容できないっていうのは方向性として間違ってると思うよっていうメッセージとワタシは受け取りました。

不寛容であればあるほど自分の首を締める

最近になって、ワタシは「何事にも不寛容であればあるほど自分の首を締める」ということに気づき始めています。ようやくワタシも大人になってきたのだと思います。

 

自分がどんな時に不寛容になるかって振り返ってみると、自分の意思と相手の意思が異なるということは前提で、だいたい自分にとって都合の悪い方向に物事が動き出す時なのかなと感じています。

 

自分にとって都合が悪い方向に物事が動き出した時に、すべてを許容しない態度を取ると後々になって自分の不利益になるということは、これまでの夫婦喧嘩で実証済み。

 

不寛容は不寛容となって自分の身に帰ってきます。

 

ダブルスタンダードを生み出してしまう

自分にとって都合よく物事を進めるために、屁理屈こねて相手に不寛容になっていると、逆の立場になったときにダブルスタンダードが出来上がってしまい、屁理屈こねても説得力がなくなってしまいます。

 

ウチの場合、夫婦喧嘩の原因はだいたいお互いのダブルスタンダードがきっかけです。

 

あの時あなたはこう言った。今回あなたはこう言った。この違いは何?という具合に。

 

なんで、話の例えが夫婦喧嘩やねん。

 

許容したくない部分を細分化して考える

自分の都合の悪い方向に物事が動く時、自分にとって許容したくない部分をもっと細く見て、絶対に許容できない部分を主張しつつ、妥協点を提案できる事が関係悪化を回避するために必要なことかなと思っています。

 

これが「右手で握手して左手で殴り合う」ということでしょう。

 

話は変わりますが

某お笑いコンビが解散しましたよね。これも、不寛容が生み出した悲劇なのではないかとも思えてしかたないのです。

 

闇営業・反社・金銭授受などのネガティブなワードが立ち並び、一気に批判にさらされて表立った活動ができない状況になりました。でもよく考えてみると、あれって表立って活動できなくなるような犯罪行為だったんでしょうか?

 

道徳的に「けしからん」という感情から、過ちを反省しやり直すことすら許さない不寛容に発展してしまった事が、解散を選択せざるを得ない要因の一つであったように思えてしまいます。

 

不寛容な世の中。何かやらかしたら一発アウト。

 

これでは、国民全員が聖人君子じゃないとダメじゃないですか?そんなん面白くないですよね。

 

絶対、これからは何事にも少し寛容であるべきじゃない?

 

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