こんにちは~。
「時間が経って、あの時の言葉の意味がわかる」とか「時間が経って、あの時の言葉が活きる」っていう話です。
小学生の頃、欲しい物があったりお小遣いが足りない時は、「アルバイト」と称して親戚宅で雑用の仕事をいただいて、その対価としてお小遣いを貰っていました。
掃除・買い物・洗車etc。。
その中でもお小遣い単価の高い「アルバイト」が洗車でした。
親戚宅は自営業で車を3台所有していましたので、一週間に一台ずつ代わる代わる洗車の仕事を貰っていました。(今考えると、普通にスタンドで洗車するほうがコスパいいんですけどね。親戚のワタシにお小遣いをあげようという親心ですね。)
主に洗車していたのが、クラウンです。30年以上前ですから、ゴツい四角いセダンのクラウンです。小学生にはなかなかの重労働でしたが、未熟ながらも自分で働いて対価を得るといういい体験をさせてもらったと思います。
その洗車の「アルバイト」で言われた言葉が今でも忘れられず、大人になって理解ができて、今活かされています。
ぼぉーっと立ってても水は出てこぉへんで。
当時、小学生のワタシには結構ショッキングで強い言葉に思えました。
洗車に取り掛かるのに、洗剤や雑巾などの清掃用具を借りて準備して、バケツを準備して、ホースの先を持っていました。その時、ワタシが言われた言葉です。
蛇口布巾に親戚がいたので、ワタシは蛇口をひねってくれると高をくくって、ホースの先を持って待っていたのです。
「ぼぉーっと立ってても水は出てこぉへんで。お前がやらな誰がやんねん?」
小学生のワタシは正直、「蛇口の近くにいるなら水を出してくれても良くね?」と思っていました。
その日は、ずーっと「こいつホースの先持って、水出てくるの待っとんねん!」と親戚中でイジられた思い出があります。
その言葉の意味が年齢を重ねてやっとわかった
その言葉が小学生のワタシにはキツくて、半分は「自分の甘さ」を自覚してたんですが、あと半分は「反抗心」や「悔しさ」でずーっとモヤモヤしていました。
その、親戚の言葉の意味を理解して納得するまでにかなりの年齢を重ねました。
完璧に当時のワタシが甘かった。仕事をして対価を得る契約を交わしたら、親戚はクライアントです。ワタシはクライアントの満足のために自分で考え、行動を取るべき立場だったと思います。
小学生のワタシにはショッキングな言葉でしたが、今では至極真っ当なご指摘だと思います。
理解して納得するのに時間が掛かるコトやモノや言葉がある
「ぼぉーっと立ってても水は出てこぉへんで。お前がやらな誰がやんねん?」
という言葉の本質を捉えるのに時間がかかりました。
もしかすると、この言葉を言った親戚は『小学生のワタシに言ったのではなく、未来のワタシに』届けとばかりに放ったのではないかとも、今では思えてきます。だから、小学生のワタシには受け止めきれない強めの言葉を使って。
大人が小学生に向かってビジネスライクな事を言うのは信念があってのことだったんだと思います。
最後に
このように、時間を掛けてふと理解ができるコトやモノや言葉があります。
理解が出来ない事、受け入れられない言葉が世の中にはわんさかありますけれども、それを自分から排除せずにうまく付き合って行くことができたら、その中に時間を経て理解して納得できる物が見つかるかもしれませんね。
そう考えると起こった事や受け取った言葉にいちいち一喜一憂している場合でもない気もしてきます。全ては自分を構成するピースに変えていくのがベストですよね。
今日も最後までありがとうございます!
ポチリとお願いします!めっちゃ喜びます!
▼▼▼▼
にほんブログ村
更新お知らせのTwitterです。フォロー大歓迎です!!
Follow @shidoiblog