気遣える間柄であるかどうかが「仲の良さ」
例えば、仲良しだと思っている友人①がいたとして、その友人①が自分も知っている共通の友人②と遊びの計画をした時、自分に声が掛からなかったらどう思いますか?
というような事が先日ありました。ワタシは「自分」の立場です。
一応、「声かけてくれよ~。」とは言いましたが、向こうは「あれ?行きたかった?いつも来ないから」という返答でした。
まぁ、「いつも来ない」と思われているワタシも悪いし、既にその計画は進んでいて立場的に身を引くしかなかったので、結論、ワタシはムッとはしましたけど、最後はどうでもいいかと気を収めました。
しかし、よくよく考えてみると友人関係を良好なものに保つとすれば、仲間内で「アイツに声かけて、コイツには声かけない」というようなことはしないと思いませんか?いくら「いつも来ない」と分かっていても、遺恨が残らないように声かけると思うんですよね。ワタシなら声かけますね。「たまには来いよ~」って。
来るか来ないかより、気遣える間柄であるかどうかが「仲の良さ」だと思っているので。
ということはですよ?ワタシはその友人にとって「コイツには声かけなくても良いや」っていうポジショニングされているということですよね。別に友人関係を良好に保てなくても良いやと思う対象にされていると。
「声かけてくれよ~。」と言ったときに「しまった」って顔していたんで、悪気はないんだろうなと思うと同時に冷たいなぁと思うわけです。
それ以来、ちょっとその友人関係に冷めております。自分を軽く扱う人からは距離をおいたほうが良いと思います。
気遣えない間柄は仲が良いとは言わない。
ワタシは仕事から帰宅したら、携帯や目薬や鍵などの小物を”パッ”と置くためにカゴを用意しているんですが、ある日、それが縮小され隅に寄せられていました。
もともとそのカゴがあった場所にはフィギアが飾られていました。
いつものところにあるべきものがないとストレスなんですよね。
優先順位ってなんだろう。何が大事で何が大事じゃないんだろうと考えさせられました。
イライラしても仕方ないので、また最初から自分が管理しやすいように小物を保管する場所を考えて設置しました。
外でも家でも、自分以外の事やモノはどうでもいいと思う人がたくさんいるようです。
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