お元気ですか?ワタシは元気です。

関西在住のアラフィフ会社員による、めちゃくちゃインドアな雑記ブログ

1995年1月17日。高校3年生のワタシの一日。

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1995年1月17日

1月17日は阪神淡路大震災が発生した日です。

 

今年もメディアでは1995年の記録や記憶を辿り、改めて災害の怖さと備えをワタシたちに訴えかけてきます。

 

もう27年も経つかぁって感じです。神戸元町にはよく行きますが、震災があったなんて微塵も感じないほど整備されて、人が多く行き交っています。

 

1995年。ワタシは高校3年生でした。京都で過ごしていたので被災はしませんでした。

 

その日の朝、6時にもならない早朝。すごい揺れで目を覚ましたのを覚えています。揺れが強すぎて身動きできず、布団に潜り込み丸まってそれが過ぎるのを待っていた感じです。

 

揺れが収まって部屋を出ると、朝の支度の為に既に起床していた母親を除き、同じタイミングで部屋を出てくる家族の姿がありました。

 

揺れは強かったけれども幸いに戸棚からものが落ちたりする程度で誰にも怪我はありませんでした。

 

テレビで状況を伺うけれども、地震があったことだけが繰り返し報道されているだけで分からず、時折来る強めの余震が気味悪かった。遠方の親戚からは安否の連絡が早朝にも関わらずひっきりなしにかかってきた。

 

状況が把握できないまま、家族はそれぞれ仕事や学校へ出かけた。

 

学校へ到着してようやく担任から「神戸が大変なことになっている」と被災状況について言伝で聞かされましたが、イメージが沸かずに要領を得ませんでした。

 

その日の授業が終わり帰宅してつけたテレビは、どのチャンネルも地震の被害を伝えていた。そしてそのどれもがリアルタイムで燃える家屋や倒壊したビルを映し出していました。

 

京都の高校生でしたから、神戸に遊びに行くことなどほとんどないし、何の思い入れもない神戸の街でしたが、想像を絶する災害の景色を前に閉口してしまいました。

 

何も言葉にできないショックというのはあれが初めてだったと思います。今朝自分も地震にあったけど、いつもどおりの生活ができているのに、大きく見たら寸分の距離しか変わらないところがめちゃくちゃになっている。

 

消火や救助が間に合わず、燃え広がり、倒壊した家屋の中に閉じ込められている人がいる。色んな所で人が泣いてて、途方に暮れている。

 

この現実がとても怖かったのを覚えています。

 

その日の夜は、珍しく全員がリビングに集まったまま誰も自室へ行こうとはせず、そもまま夜を過ごしました。それが、1995年1月17日のワタシの記憶です。

 

それから、1年1年過ぎて行くごとに目に見えて街は復興が進みました。大学生になり社会人になっていくワタシも神戸に足を運ぶ機会は多くなり、復興後の神戸の街並みが当たり前になりました。

 

そして今日27年が経ち、今朝テレビで当時の記録映像を見ました。その中で一人のおじいさんが、「人生、いつどうなるかホンマにわからんなぁ」と言う震えた声にやり場のない怒りと無念を感じました。

 

何事もなく一日を過ごす事が当たり前のようで実は当たり前ではないんですよね。

 

使い古された言葉ですけど、こういう日しかそれを思い出さないのもまた人なんですよね。

 

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