自由は不自由の中にある
福沢諭吉の言葉に「自由在不自由中」というのがあります。
自由は不自由の中にある。
”自由とは何をやってもいいと言うことではなく、人の妨げにならない最低限のことは守った上で心のままに生きること”という解釈が一般的です。
尾崎豊の「卒業」
3月の終わりでしたが、テレビから尾崎豊の「卒業」が流れてきました。
卒業シーズンでしたから、その手の曲を特集してた内の一曲でした。ワタシの年代的にも懐かしさ故に聞き入ってました。
学校や教師に縛られた日々からの解放を歌った曲
この「卒業」は、”規則で自分を縛った学校や教師からの解放”を卒業に置き換え、卒業することで自分はやっと自由になれると歌った曲です。
ところが、縛られる日々は続くと分かっている
曲の最後の部分で、「これからは何が俺を縛り付けるだろう」という一節が出てきます。
学校を卒業したところで、自分を縛ってくる対象が変わるだけで、自分が縛られる現実は変わらないと悟っています。
ここで最初の言葉を思い出しました。
結局、自由は不自由の中にある
自由は不自由の中にある。ここでは、福沢諭吉のそれとは意味合いが若干異なってくるのかもしれませんが、尾崎の卒業も突き詰めればそれなんです。
”自由は不自由のなかにある”ってことよ。と子供たちにつぶやいてみましたが、やはりピンと来ない様子でした。
この感覚がわかるようになったら一人前かもです。
いろんな人がそれを歌ってきました
長渕剛も、Mr.Childrenも、hideも。
自由とか自分らしさは常に檻の中で、結局、誰かの手の中でしか飛んでない。
思春期っていいですよね。
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