作られた風流と風情
先日、祖父の法要があって京都へ行ってきました。
場所は京都の中心地。四条通りから少し下がったところ。
余談ですが、京都の中心地は碁盤の目のように通りが交わっているのは有名です。そのため、南北の通りは上がる(あがる:北)下がる(さがる:南)、東西の通りは東入ル(ひがしいる:東)西入ル(にしいる:西)と表現し、話し言葉にもなっています。なので、はっきりとした住所がわからずとも東西南北の通り名さえ分かれば、目的地にたどり着けますし、ワタシが子供のころは郵便物も届いていましたように記憶しています。(今はどうかわかりませんけど。。)
話を戻しまして、この日は四条烏丸に電車で到着して、四条通りから高倉通りを下がって目的地に赴きました。(京都の人はこれでだいたいの現在地がわかるはず)
祖父や祖母がこの辺りの住まいだったこともあって、眺める景色をワタシが幼少のころに見た景色と比べながらどうしても歩いてしまいます。
南北に通る狭い通りの所々から枝分かれする京都ならではの路地や、それに沿って建てられているうなぎの寝床と呼ばれる奥行きの深い町家。
幼少の頃から変わらず存在しているお店やモニュメント。懐かしい気持ちをくすぐります。とは言っても、幼少の頃から40年近く経過しているので、通りの風景は変わったことの方が多いです。
お家があったところがホテルに変わっていたり、町家をそのままカフェにしていたり、オシャレなお店や建物が多くなりました。
ところが、目に見えてはっきりと変わっていることは分かっても、なんとなく京都の風情や風流を感じるんですよね。
これはどういうことなんだろう。としばらく考えてわかりました。
京都では大手チェーン店の看板の色が違うって聞いたことありますか?例えばマックの看板は黄色のMはそのままにバックの赤は茶色になっていると言った具合に。
これは京都の景観保護のために色使いや建物の高さなどを規制しているからなんです。
ワタシが感じたなんとなくの京都の風情や風流は、景観保護の規制に加え、新しい建物やお店が京都の雰囲気をデザインや佇まいに作り込んでいるからなんだと。
路地で遊ぶ子供の姿や個人商店の軒先にある祇園祭のちまき。ワタシの幼少の頃に感じた風情や風流はやっぱり少なくなって。
観光地京都の作られた風流と風情。観光客はそれを京都だと感じる。
なんだかなぁ。
幼少の頃、祖父と祖母に手を引かれてよく言ったお寺。「佛光寺」。
この砂利に足を取られてよくコケてました。
昔、手水舎付近にはものすごい数の鳩がいて、佛光寺さんに行くときは祖父と祖母はお米を持たせてくれました。鳩にあげるためです。今では餌付けですから駄目ですけどね。お米を撒いて鳩が寄ってくるのが楽しくて。手のひらにお米を乗せて、ジーッと動かず待っていると、鳩が手のひらのお米を突きにくると嬉しくてね。
今では鳩の姿は全く見かけなくなりました。
社務所のようなところにはカフェができていて。少しづつ佛光寺さんも変わっていくのだなぁ。
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